風の吹くまま、日々の雑感を記録しとこうか程度の日記です。誹謗中傷や個人攻撃&個人の信用にかかわること、理解を求めない一方的なコメントは、独断で削除することもありますし、閉じることもあります。


by ende_m
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映画人が何で9条にこだわるかを考える

 ちょっと時期がずれちゃったけど、今回は、何故映画人が9条にこだわるのか、敏感に反応するのかを考えたいと思う。

 戦前の話になるが、1939年「映画法」が実施され、映画の検閲は厳しさを極めた。映画は政府の監視下の置かれ、俳優を含めたスタッフ、映画事業にかかわる人は、思想検査を受けた上で全て登録制になった。企業もむりやり合併させられ「大日本映画(大映)」ができたということだから、産業自体が政府の丸抱えになったということだ。表現の自由は完全に奪われていた。
 中でも、亀井文夫監督の「戦ふ兵隊」は、反戦映画として治安維持法違反で摘発され、一年間獄中生活を送った話は有名だ。
 また、木下圭介監督作品の「陸軍」は、上映されたあと、戦地に赴く息子を見送る母親が涙を流しながら追いかけるラストシーンが、反戦的だと指摘され、捕まらなかったものの、こっぴどく怒られたという話だ。まぁ、上映中このシーンになると、見に来ている母親たちがみんな悲しくなって泣いたということだから、戦意高揚にならないと判断されたんだろう。




 山中貞雄監督は「人情紙風船」を製作したあと召集され、29才の若さで、中国で戦病死している。生きていたら、僕らにどんな名作を残してくれたかと思うと残念でならない。
 とにかく、頑張った人もいたが、戦時中は作りたいものを作れなかったのだから、クリエーターにとってこんな悔しい時代はなかったろう。
 だから、戦後作りたいものが作れるようになったのだから、映画人は喜んだ。占領軍の文化統制も続いていたが、GHQの民主化政策で、日映演という労働組合ができたのもこの頃だ。しかし、そのGHQの政策転換で、1948年にあの有名な東宝争議がおこり、レッドパージがはじまる。GHQの示唆を受け、東宝資本は279通の共産党員とその支持者の解雇通知を発送した。来なかったのは軍艦だけという大争議だった。規模は違うものの、同様のレッドパージは、松竹、大映でも起こった。日映演は解散させられ、新藤兼人監督は、独立プロへ流れていく。とここまでが歴史のおさらい。

 この後から現在までの映画産業については、映画評論家の山田和夫さんが12月号の「経済」に「日本映画の戦後60年」というタイトルで、詳しく書いている。興味のある人はそちらを読んでください。

 憲法9条が改悪され、日本が戦争の出来る国になるということは、同時に表現の自由が奪われるということだ。作りたいものが、また作れなくなる危機感があるからだ。大衆から娯楽が奪われるということだ。この点、映画人は敏感だ。その一点でも、9条改悪反対で一致できるのだろう。
 そんな時代にはならないと思う人が圧倒的だと思うし、そんな露骨な手段は取らないと思う。でも、そんな雰囲気にさせられることは、9.11の選挙で実証されてしまった。

 大衆娯楽としての映画は、プロパガンダの手段として使うには、もっとも効果的だ。権力の側のものにするのではなく、大衆のものであるべきなのだ。危機感を持つのは当然だし、持つにこしたことは無い。持ちすぎても良いくらいだと思う。運輸関係、医療関係、航空関係の労働組合が、危機感を持つのと同様だ。映画人も、目に見えない戦時体制に組み込まれる危機感を持っているんじゃないだろうか。

 9条だけでなく、99条を無視し、96条の改悪でハードルを下げる。立憲主義がどんどん崩されようとしている。このまま放っておけば、権力者の思うがままの時代になってしまうことは明らかだ。

 残念ながら、映画人9条の会は東京にあるため、地方の参加者はメールでのニュース配信か、ニュースの配送という形になるそうだ。でも意思表示は出来るし、有益な情報も手に入る。 
 地方にも映画サークルはあるし、地方版の映画人9条の会が出来て欲しいと、前回のイベントで主催者が訴えてた。もう、あるなら連絡が欲しいとも言っていた。


 先日亡くなった撮影監督協会の高村倉太郎会長は、9条について以下のように語っていた。

 「撮影監督協会の高村です。私は昭和14年に松竹に入り、現在、日本映画撮影監督協会の名誉会長をやっています。
 私が松竹に入った頃、昭和14年という年は、すでに国はほぼ戦時体制に入りつつあり、映画法が制定されたり、映画人協会というのが設立されたりして、映画人もどんどん国策に沿った体制へと移っていった時代です。
 その頃は私たちも、国のためにとか、映画を守るためにとか、いろんな観点から国策に沿ったことをやるのが当然、というふうに考えていたんですが、実は私も戦地に行きまして、戻ってきて戦後初めていろいろなことを知ることで、戦争というものがいかに人類にとって無駄な、そしてなんの成果もないことだということに気がつきまして、日本が率先してこの九条を憲法に入れたということは大変素晴らしいことだ、というふうに私はその時思ったのです。
 ところが最近、それがやや怪しくなってきて、9条を見直そうなんて。なんのために見直すのか。せっかく世界で一番進んだ形の憲法9条を、何のために見直すのかということを考えると、またまた私が(映画界に)入った昭和14年に戻っていくのではないかと思いまして、いささか恐れをなしており、この会が結成されることを聞いて、率先して参加させていただいたというわけです」              映画人九条の会 MailNews10より

 高村さんを偲んで、川島雄三監督の「幕末太陽傳」を見なきゃって思っているのだが、中々暇が無い。
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by ende_m | 2005-12-21 19:47 | 憲法