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風の吹くまま、日々の雑感を記録しとこうか程度の日記です。誹謗中傷や個人攻撃&個人の信用にかかわること、理解を求めない一方的なコメントは、独断で削除することもありますし、閉じることもあります。


by ende_m
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赤い靴

 先日、ネットでいろんなところを見てたら、ひょんなところで、童謡赤い靴のきみちゃんの記事というか、サイトにぶつかった。

 昔聞いたことがあるような、ないような話だったけど、麻布十番商店街組合の話を見て、事実関係がはっきりしました。

 時代が時代だし、貧しいだけで子どもが犠牲になる時代。でも、今の「豊か」といわれる時代でも、昨今の嫌なニュースを見るたびに、大人の愛情が感じられない無い分、今の方が「子ども受難の時代」に思える。

 その上、戦争なんて人災が起これば、真っ先に子どもが犠牲になるんだろうと思うと、未来というか将来に対する大人の責任って大きいとつくずく思ったのでした。

 競争は、人から思いやりをそぎ落とし、戦争は、人から理性をそぎ落とす。by ende なんちゃってね。

赤い靴の女の子きみちゃん

 誰もが知っている野口雨情の「赤い靴」。この童謡は大正10年に書かれ翌11年に本居長世が作曲したものです。

 女の子の名は「岩崎きみ」。明治35年7月15日,日本平の麓,静岡県旧不二見村(現在の清水市宮加三)で生まれました。
  
 きみちゃんは赤ちゃんの時,いろいろな事情で母親「岩崎かよ」に連れられて北海道に渡ります。母親に再婚の話がもちあがり,かよは夫の鈴木志郎と開拓農場に入植することになります。

 当時の開拓地の想像を絶する厳しさから,かよはやむなく三歳のきみちゃんをアメリカ人宣教師チャールズ・ヒュエット夫妻の養女に出します。かよと鈴木志郎は開拓農場で懸命に働きますが,静岡から呼んだかよの弟「辰蔵」を過酷な労働の中で亡くし,また,開拓小屋の火事など努力の甲斐なく失意のうち札幌に引き上げます。
  
 夫志郎は北鳴新報という小さな新聞社に職を見つけ,同じ頃この新聞社に勤めていた野口雨情と親交を持つようになります。かよは世間話のつれづれに,自分のお腹を痛めた女の子を外人の養女に出したことを話したのでしょう。

「きみちゃんはアメリカできっと幸せに暮らしていますよ」。
 こんな会話の中で,詩人野口雨情の脳裏に赤い靴の女の子のイメージが刻まれ,「赤い靴」の詩が生まれたのです。

 後年,母かよは
「雨情さんがきみちゃんのことを詩にしてくれたんだよ」とつぶやきながら,「赤い靴はいていた女の子・・・・」とよく歌っていたそうです。その歌声はどこか心からの後悔と悲しみに満ちていたのです。

 ところが赤い靴の女の子は異人さんに連れられていかなかったのです。

 母かよは,死ぬまできみちゃんはヒュエット夫妻とアメリカに渡り,幸せに元気に暮らしていると信じていました。

 しかし,意外な事実が分かったのです。

 きみちゃんは船に乗らなかったのです。ヒュエット夫妻が任務を終え帰国しようとしたとき,きみちゃんは不幸にも当時不治の病といわれた結核におかされ,身体の衰弱もひどく長旅ができず,東京のメソジスト系教会の孤児院に預けられたのです。
   
 薬石の効無く,一人寂しく幸薄い九歳の生涯を閉じたのは,明治44年9月15日の夜でした。

 きみちゃんの亡くなった孤児院,それは明治10年から大正12年まで赤坂永坂にあった鳥居坂教会の孤児院でした。
  
 今,十番稲荷神社のあるところ,旧永坂町50番地にあったこの孤児院は女子の孤児を収容する孤女院として「麻布区史」にも書かれています。

 三歳で母かよと別れ,六歳で育ての親ヒュエット夫妻とも別れたきみちゃんは,ただひとり看取る人もいない古い木造の建物の二階の片隅で病魔と闘い続けました。

 熱にうなされ,母かよの名を呼んだこともあったでしょう。温かい母の胸にすがりたかったでしょう。
 それもできないまま,秋の夜,きみちゃんは幸薄い九歳の生涯を閉じました。母かよがきみちゃんの幸せを信じて亡くなったであろうことが,ただ救いでした。

 この街,麻布十番に眠ったきみちゃんを思うとき,赤い靴の女の子「きみちゃん」の心安らかなことを祈り,今,私たちの幸せを心から喜び感謝しなければならないと思います。
  
 母と子の愛の絆をこの「きみちゃん」の像に託し,みなさまの幸せを祈って,平成元年2月,麻布十番商店街はパティオ十番に「きみちゃん」の像を建てました。   
                                          麻布十番商店街振興組合
# by ende_m | 2006-06-17 10:44 | 日記

格差社会が止まらない!

 「格差社会について考える」というエントリーを書こうと思って、このくそ忙しい日常の中で色々調べてみた。格差社会を考える上では、やっぱり派遣労働者の問題は避けて通れないし、今年の7月で、労働者派遣法が施行されて20年になるしね。当初14万人の派遣労働者は、今や230万人。
 当初の専門職という枠組みも何処へやら、企業にとっての雇用の安全弁としての役割が全面展開されている。派遣労働者についての、詳しいエントリーはもう少し後にして(ご勘弁!)、調べている中で、こんなことまで想定していたのっていう面白い事を見つけたので、とりあえず報告しときますね。

 それは、「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分基準の具体化、明確化についての考え方」昭和61年4月17日労働省告示37号という、労働省の小難し手引きなんだけど、要するに請負契約と派遣事業についての考え方を、事例をもとに具体的に解説してあるものと理解しとけばいい程度の話です。
 そこには、具体的判断基準が、「医療の場合はこうですよ、製造業の場合はこうしなさい」とかこと細かに書いてあるんだけど、そこに、読んで思わずビックリしたのが「バンケットサービスの場合」というのがあって、こう書かれている。

 業務に従事するバンケットコンパニオンの決定についてはホテル等による指名や面接選考等を行わずバンケット業者自らが行うこと。また、同一の宴席におけるバンケットサービスを複数のバンケット業者が請け負う場合には、異なるバンケット業者のバンケットコンパニオンが共同して1つのサービスを実施することのないよう、あらかじめ各バンケット業者が担当するテーブルやサービス内容を明確に区分していること。

 あらら、なんで、ここだけ、こんなに具体的なのかしら。具体的といいつつ、お役所言葉で全体的には抽象的に薄めてるという印象を持ったんだけど、その中で、なぜかやたら具体的なオーラを発してましたね。派遣労働者と請負については、偽装請負問題なんかがあってやたらあいまいなんだけど、ここは非常に具体的なんだな。それは、揉め事があったからこそ、具体的になったと考えざるをえない。

 その具体的な揉め事を想像するに、パーティーを主催する側が、ホテル側に「いやぁ〜、今回は、きれいどころを揃えてくれんかね」「ほれ、この間のあの娘なんかも呼んでくれると助かるんだけど」なんて、ことを安易に業者に発注しちゃダメですよ。って釘を刺してる感じがすることと、パーティーに複数の業者を入れちゃって、大揉めに揉めたことがあったことが想像される。僕らは、パーティーとか身近ではないけど、立法にかかわる人たちにとっては日常茶目仕事じゃなくって、日常茶飯事なんだろうね。

 まぁ、派遣労働者については、派遣元が人選する人について、派遣先は文句を言ってはいけないし、まして、派遣先が面接なんてやってはいけないんです。
 最初この事例を見たとき、パーティーのコンパニオンでは無くて、温泉街のコンパニオンを客が指名すると、派遣法違反になる事例なのかと思ったのでした。
# by ende_m | 2006-06-16 01:30 | 雑感
休んでいることにかわりないいんだけど、コメント欄とトラックバックを復活しとこうと思います。
エントリーは、しばらく出来そうもないので、気長にお付き合いを!でも、ほっといて大丈夫かわからんところだし、相変わらず管理もずさんだしね。でも見たくない人は、見なければ良いだけの話なんで、他所いってもらえればとか思いながら、つらつらと再開しようと思っているのです。ウ~ン、できるだろうか???
# by ende_m | 2006-05-30 02:09 | 日記

しばらくお休みします

しばらく、お休みします。

トラックバック、コメント欄を閉じさせてもらいました。
また、余裕ができしだい再開したいと思っております。
# by ende_m | 2006-05-22 09:13
 忙しいし、管理さえままならないブログなので、世の中の動きに即応できなくなっています。ただ、短期的な問題や中長期の問題、ちょっと長いスパンで見た問題など、切り口はいろいろあるし、今起こっている目前の問題などは、他所での「場」が一杯あるしね。
 たまにしか書けなくなっていることを前提に、あえて今の事象の背景にある問題などについて、時間が取れるときに、自由気儘に書き綴るのも良いかなと思ってるのです。
 別に、社会的使命を背負って始めた訳でもないし、自分のお庭なんでね。しばらくは、一つのテーマに絞って、不定期に書いてみようと思うのですね。
 ということで、今回は、格差社会について考えてみます。「格差社会について、その目的は?」なんていう大上段に構えた議論もあるけど、そういう論理の立て方はしません。
 少し前の、5月14日の東京新聞に「格差社会をどうする」という社説が載っていました。リンク切れになると、このエントリー自体が成立しなくなるので、長いけど、取りあえず引用しときます。

《引用開始》
週のはじめに考える 格差社会をどうする
 格差社会への批判が広がっています。格差をなくす。これは人々がずっと、挑戦してきた課題でした。そのために、政府はどんな方策をとるべきでしょうか。
 格差是正は、いまに始まった話ではありません。いわば近代国家が成立して以来の大テーマといってもいいほどです。たとえば約百六十年前、カール・マルクスの一連の著作に始まる共産主義もそうでした。
 すべての労働者が自分の能力に応じて働き、格差のない公平な社会をつくる。それが理想だったのですが、結果は旧ソ連にみられる通り、非効率な政府がいびつなほど巨大に増殖し、最後は原発事故も引き金になって崩壊してしまいました。

■洋の東西で重要課題に

 共産主義を含めて、人々が政府に期待する役割の一つは、いまも昔も「公平で公正な社会」の実現です。最近、会った中堅の自民党衆院議員がつぶやいた一言が、問題の重さを如実に物語っています。
 「格差是正。これはわれわれの魂に触れる課題なんだ。自民党の存在意義にかかわるといってもいい」
 自民党が格差是正とは、いまや意外に聞こえるかもしれませんね。でも、農村の生活水準改善に最も熱心な政党が従来の自民党だったことを思い出せば、納得できるでしょう。格差是正は洋の東西を問わず、あらゆる政治勢力が取り組んできた課題なのです。
 残念ながら「平等な所得」や「結果の公平」を完全に実現した国はなく、うまい処方せんもまだ見つかっていないのですが、それでも「政府の役割」について共通理解は次第に形成されてきました。
 一つは低所得でも安心して生きていけるように、高所得者から低所得者への所得再分配です。高所得であるほど税率を高くする累進所得税や財政力の弱い地方自治体に政府が税財源を再分配する地方交付税が、そうした機能を担っています。

■「老後の不安」にも直結

 現行の所得再分配は改善の余地があるとはいえ、曲がりなりにも確立されているのに、人々がいま格差拡大の実感を抱く理由の一つは「老後の不安」と直結しているからではないでしょうか。増加する非正規雇用が、それを象徴しています。
 パートやアルバイトはもちろん、契約社員や派遣労働者の中にも年金などの社会保険に未加入の人が少なくありません。こうした非正規雇用は二〇〇五年に千六百三十三万人を数え、前年に比べて六十九万人も増えました。雇用者全体(役員を除く)の約三分の一、うち女性では半数以上を占めています。
 給料はというと、正社員の四百五十三万円に対して、派遣は二百十三万円、パートは百十万円(〇四年)という試算もあります。
 もともと給料が多くないうえ、年金も未加入で将来不安が募る。そうした人々が増えている現実を見れば、政府は所得再分配のあり方を見直す必要もありそうです。
 とくに国民年金。未納者は四割に迫る勢いで「すでに破たんしている」という見方もあります。「加入者が払った保険料で自分の保険金を負担する」という制度の基本が崩れているなら「国民の税金で福祉サービスを提供する」財政の制度に抜本的に衣替えして、再分配の効果を高めるのも一つの方策です。
 「年金保険料の徴収をやめ消費税を増税する。その代わり、最低限の老後は保障する」という考え方は、一考に値すると思います。
 「そもそも少ない給料が問題だ」という意見もあるでしょう。でも、政府が法で定める最低賃金を無理やり高くすれば、失業率が高くなったり、低賃金でも働けない問題が生じます。むしろ、一定期間を過ぎれば非正規雇用から正規雇用への転換を促す制度を充実する、といった方策が考えられます。
 もう一つ、政府の役割で重要なのは「機会の平等」を徹底することです。金持ちの子供だけしか、いい教育機会に恵まれず、したがって、低所得者の子供はずっと低所得にとどまる。人々の不安は格差そのものより、そんな格差の固定化に真の理由があるかもしれません。
 ここでは、公立学校の教育を充実し、就職や転職、さらには能力に応じて働ける窓口を広げていく努力が必要です。政府は率先して公務員の中途採用や民間からの登用枠を大幅に拡大してはどうでしょうか。
 政府の人事採用をみていると、キャリアとノンキャリアの区別や特定大学出身者の偏重など「政府自身が機会の平等を否定して、格差を過度に固定化しているのではないか」と思えてなりません。

■成長なくして是正なし

 そして、経済の安定成長。企業が伸びるときには、パートやアルバイトだけでなく高い士気をもって中核業務に励む正社員も増やします。
 成長なくして格差是正は進まない。逆に、格差が広がる一方なら、社会の安定性と貴重な労働の潜在能力が失われ、ひいては成長も望めません。成長と格差是正は「車の両輪」です。

《引用終わり》

 と、ここでまず引っかかったのは…
 給料はというと、正社員の四百五十三万円に対して、派遣は二百十三万円、パートは百十万円(〇四年)という試算もあります。というところと、「そもそも少ない給料が問題だ」という意見もあるでしょう。でも、政府が法で定める最低賃金を無理やり高くすれば、失業率が高くなったり、低賃金でも働けない問題が生じます。むしろ、一定期間を過ぎれば非正規雇用から正規雇用への転換を促す制度を充実する、といった方策が考えられます。
…というくだりです。

 賃金については、派遣労働者は正規雇用労働者の半分、パートについては四分の一という実態であるということですよね。その上で、最低賃金の引き上げを失業率の増加に結びつけ、低賃金でも働けなくなってしまう環境が生まれると一刀両断し、非正規雇用から正規雇用への転換を即す制度の充実なんて論理は、机上の空論であり、誤魔化しでしかありえません。だって、最低賃金以下の労働者を無くすために正規労働者を増やす企業なんて、あるわけがないからです。それとも、政府による労働法制の充実、縛りのことなのでしょうか?それであれば、大歓迎なのですが…。労働者派遣法でさえ守られていない実態が云々って……これは、長くなるので今度にします。
 
 正規と非正規の賃金格差については、 あれれ、そんなに差があるのか?同じ仕事をしていて半分の給料じゃ辛いわなぁ。という思いと、そうだったっけ、ありゃ何か変だぞという思いが交錯して、何だ、丸子警報機の裁判の教訓が全然生かされてないじゃないか、という思いが頭をよぎりました。
 
 今から10年前の1996年に、非正規雇用の賃金については、正規雇用の八割以下の賃金は公序に反し違法とした丸子警報機裁判の判例があります。だから、正規雇用の半分なんてのは、とんでもない公序違反です。同一価値労働、同一賃金の原則は、まだ死んではないはずです。誰かが埋めてしまった可能性はあるけど、掘り起こせば出てくるのではないかと思うのです。
 まずは、今から10年前は8割が妥当とされていた非正規雇用の賃金が、平然と5割まで落ち込んでいる現実を少しでも考え、変えていかないと、格差社会の是正も始まらないと思うのです。
# by ende_m | 2006-05-18 02:00 | 雑感